あまりにも腹に据えかねる政策を矢継ぎ早に打ち出してくれるものだから、どんな人物だろうかと仙谷くんのホームページをのぞきに行ってみた。
そこには「地球市民」という言葉が高らかに掲げられていた。

地球市民」という言葉は一つの枠組みを示す概念に過ぎない。
地球市民」が素晴らしい概念というならば、「宇宙市民」や生きとし生けるもの全てを包括する「生物界市民」、霊界までも包含する「精神界市民」の方が一段と大きく素晴らしいんじゃないか。
同様に「日本国民」だって「茂原市民」だって「長生村民」だって、自分の属する共同体を愛する素晴らしい概念だ。

地球市民」という言葉は単に一つのまとまりを示すだけであって、取り立てて崇高な概念でも何でもない。
地球市民」として生きる素晴らしさを謳い上げる事と、「日本国民」として生きる事の素晴らしさを謳い上げる事のあいだに本質的な価値の差は何もない。
そのどちらの言葉も「自らの属する共同体を愛する」という意味において一緒だ。


人間は平等でありみんな愛すべき存在だから…たとえ相手がどうしようもないゴロツキでも、残念ながら嘘を繰り返しつく相手でも、残念ながら人のものを盗んで平気な顔をしている相手にも、誠実で信頼出来る友人への態度と同じ様にしなければならない。

人間を同じ様に扱うためならば家族の財産を勝手に進んで泥棒に持って行かせるし、友人が力の限りゴロツキに殴られたとしても「まあまあ」と穏やかに対処する。
友人や家族、自分が愛するものへの、いわれのない誹謗中傷を繰り返す相手にはなぜか平謝り。
挙げ句の果てに自分に向けられたピストルに対しても無抵抗で笑って死ねる。
家族や大切な友人、愛するべき人がその道連れになったとしても、犯罪者には笑顔を貫き通す。
二者択一を迫られた時には愛すべき家族よりも犯罪者を思いやる。

地球市民」を謳って推し進める仙谷くんの政策は分かり易くいえばこういう事だろう。

今回の尖閣映像流出の問題だって、どちらが国益を損なったかといえば中国が嘘八百を並べているのにもかかわらず動かぬ証拠である映像情報を隠蔽しようとした政府の方だろう。
良くも悪くも現在の政治システムにおいては大切な情報は開示して国民の判断を仰ぐのが当然だ。

違いますか?