今朝もハバナは快晴だ。
 雲のかけら一つも見あたらない。
 ここでは朝方から天気の悪い日など、ほぼ一日もない。
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 今日は朝10時にミゲリートのバンドがリハーサルをするという会場に出掛けた。
 8 y Calzadaにあるカサ・デ・ラ・クルトゥーラへ。

 多分リハーサルの開始時間は遅れるだろうと踏んで、11時の到着を目標にバスに乗った。
 乗ったバスが交差点で乗用車とケンカになった。
 乗用車のボンネットを開けると、なぜかそこには棍棒が用意されていて、それを手に取った男数人がバスの運転手めがけて押し寄せる。
 運転手も悪かった。
 ヒドい言葉を彼らに向けてマシンガンのように連射する。
 一時はどうなる事かと思ったけれど、場は一応事なきを得た。

 カサ・デ・ラ・クルトゥーラに到着すると、偶然にも歩いているミゲリートとばったり出くわした。
 しばらく建物の前でダラダラと会話する。

 そうして、エンサーヨ(リハーサル)はやはり11時過ぎに始まった。
 伝統的なソンを演奏するグループだった。
 先月はこのグループで英国に行っていたと言う。
 ベーシストが北原実さんやファンカルロスと知人だった。
 トランペッターはとても力強い音を持っていたが、とある日本人から随分と言葉を教えてもらったらしい。

 12:15にエンサーヨは終わった。
 家がこの場所からあまりに近いので、お別れの挨拶をしようとロベルト・コンセプシオンの家に出掛けてみた。
 あいにくと彼はいなかったが、家の仲良し同居人が今日の15時よりベダドでコンサートがあるという。
 しかも招待してくれるって。
 今日はこの後ミゲリートの家に行く約束があり、その後にルバルカバの家に行く約束もある。
 出来ればフロールやホアキンの家も訪ねたいし、それに夜にはアントニオの家に招待されている。

 結局コンサート会場がマエストロの家にとても近い事がわかったので、ツアーバス?みたいなのにご一緒させてもらう事にした。
 場所はLa Redというクラブだった。
 ここで一度お別れをしてミゲリートの家へと向かう。

 ミゲリートの家には弟のミッチェル、マエストロ・ロベルトにネルサ、それにミゲリートのお母さんレティや彼のガールフレンドがいた。
 ミゲリートの部屋にはパソコンがある。
 どうやらPCでレコーディングする環境を整えつつあるようだ。
 E-muソフト音源のデバイス設定とか、色々と訊かれたけれど、正直私もそんなに強くはない。
 しかしあまりにも基本的なミス、ミディコントローラーのUSBドライバーや動作ソフトはインストールされていたものの、音源のそれはまだインストールされていなかったので、それを伝えてその話は終わった。
 音源ソフトのCD-ROMは今、手元にはなかった。
 メモリー512MB、他ははっきりと思い出せない。
 音楽をやるには最低1GBは欲しいと言っていたけれど、確かにそうだ。
 他のプログラムを使う時には512MBもあれば充分だろうけど。
 時間は迫る。
 お別れする前にネルサがアイスクリームをご馳走してくれた。
 それから今はスペインにいる元同居人たちに宜しくって。
 もちろん私だって彼女たちとそうそう会えはしないけれど、Eメールで連絡を取る事は出来る。
 彼らは以前、私が住んでいたアパートで隣の部屋に住んでいたのだ。


 さて、再びLa Redへ。
 楽団はダンソン、ソン、チャチャチャといった音楽を演奏するという。
 もちろんバイオリン奏者やフルート奏者もいてなかなかに賑やかだ。
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 コンサートが始まって、少し飛び入りさせてもらったら、前の席に座っていたご婦人にとても気に入られたようで、その後彼女が何かと私に話しかけてくる。
 あとで1stと2ndのあいだに、彼女もステージに立って詩を朗読したので詩人だとわかった。
 コンサートが終わった頃、ロベルト・コンセプシオンがやって来た。
 音楽がうるさくて会話がしづらい。
 次の予定が迫ってきたので、ダニア達にお礼を言っておいとまさせて頂く。
 その時、詩人にも挨拶をしに行くと、なんと彼女は私の唇にキスしてきた。
 品の良い、賢そうな人だったけれど正直ちょっとひいた。
 う〜ん、しかしこれがキューバ

 ロベルト・コンセプシオンと一緒の帰り道、さらにDVDのおみやげを用意してくれたという。
 かなりタイトなスケジュールだが、深夜それを受け取りに行く事を約束する。
 いつもありがとう、ミ・マエストロ!

 さてその後、休む間もなくエリサベスの待つルバルカバの家へと出掛ける。
 どうなるかはわからないけれど、一応プロフィールを預かっておこうという事で。
 バモス・ア・ベール。
 彼女は以外にも器用に、私のW-ZERO3へと文字を打ち込んでゆく。
 ちょっと意外だった。
 結構出来るじゃん。 
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 少しばかり話もした。
 私になんとプレゼントがあるという。
 明日の出発前にそれを受け取りに来る事を約束して、今度はアントニオの家へ。


 3年振りのアントニオの家。
 行き過ぎたりして少し迷いながらもなんとか辿り着く。
 懐かしい家だ。
 その昔、まだ学生だった同居人とよくこの家に遊びに来た事を思い出す。
 アントニオのお母さん、妹、それから姪っ子がいた。
 シルビア、イボン、クリスティアーナ。
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 典型的なコミーダ・クリオーヤをご馳走になる。
 少し辛目の味付けをしたそぼろ肉にコングリ、アグアカテ、パーパ・フリータ、それにアロスなどなど。
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 最後にはエラドのデザート付き。
 今日も無茶苦茶にビールを飲んでいる。
 どうもハバナに来てからというもの、1日平均3リットル以上は飲んでいるようだ。
 会う約束が1日に何度もあるから、これも致し方ない。
 それに、ライブに行って飲み物を頼まないわけにもいかない。
 かといって、私がそういった場でレフレスコを頼む事もポリシーに反する。
 やはりビールだ。
 でなければモヒートかダイキリ

 アントニオが最近買ったというコンピューターを見せてもらう。
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 CPU3GB、メモリー512MB、ハードディスク80GBとなかなかのスペックだ。
 これで日本のアニメを見たり、カラオケを流して踊って歌いまくる、アントニオの意外な一面を見た。
 今年キンセ・アーニョ(15歳)をむかえる姪っ子とデュエットしている。
 振りつけ付きで。
 オタクだな。

 リビングには日本刀、鎧甲冑、その他諸々が飾ってある。
 おまけに彼の部屋には大きな日の丸。
 正直嬉しいね。

 2004年に彼が日本に来たときのビデオなども見せてもらった。
 彼にとって、また、私にとっても大切な思い出だ。
千葉にあるディズニーランド併設のバルで飲んだシーン、私のライブのシーン、等々。

 話は尽きなかったけれど時計はすでに25時をまわり、これでさようならだ。

 今は大使館の仕事があるから、彼が実際に日本へとやって来れるのは爺さんになった時だなって、寂しい話もあった。

 明日はいよいよ帰国の途に着く。


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