世界では多くの子ども達が労働している。
一部の人間はそれをかわいそうな事で改善しなければならないという。

バッカ者!
理想は正しいが、見ているとそのやり方は大馬鹿者の愚行だ。

地球の許容量を考えてほしいと思う。
彼らが唱える理想の詰まるところは「平等」だろう???
かたや、俺だって人類の平等に思いを馳せる。

だとしたら・・・よくかんがえてほしい。

世界の貧困層が私たちと同じ生活を始めたとしたら・・・世界は破滅だろう???
エネルギーの欠乏は慢性化、食料も欠乏する。
それはどう考えても今のままの環境では成り立たないのである。

今の地球における生産量のままに全ての地球人の平等を考えるならば・・・
答えは簡単だ。
むしろ私たちが彼らと同じ生活をすれば良い。
現在の地球の資源量から導き出される答えはそれしかないはずだ。
どう考えたって、それしかないはずだ。
雨に打たれ、寿命を縮める生活を私たちも選択すればよいのである。

あるいは・・・
私は思う。
貧困から彼らを解放し、万民を平等に幸せにしたいならば・・・
宇宙に行き先を求めるしかないだろう。
宇宙開発とか、そういった開発に寸暇を惜しんで資本投下するのが正道なのではないだろうか。
宇宙開発でも良いし、または革新的なエネルギー開発、あるいは食糧増産のメカニズムを作り上げるのも良いだろう。
とにかく!
それで救われるのだ!という根拠を作らずして意味のない理想をふりまくのはやめてほしいと思う。


もっと根本的なところで・・・
労働に従事する彼ら子どもをかわいそうと思うのは、もしかしたら私たちの傲慢なのではないだろうか。

私たちの周囲を見渡せば、勉強しろといわれて不幸になる者もいれば、高収入な働き口を持っている者の中にも不幸にさいなまれている人がいる。

大体、平たく私たちの価値観のみを尺度にして働く子ども達を「不幸」と言うのは少々傲慢な事ではないだろうか。
彼らの生活には彼らの生活なりの幸せがある事にも想像力を働かせてほしいと思う。

大体、俺たちの生活は、人に強要するほどに「幸せ」に満たされているのかどうか、今一度よく考えてみるべきだ。


「平等」の意味するところが「彼らにも先進国並みの生活を」という事だとしたら・・・
それならば彼ら分のエネルギーを用意する、彼ら分の食料を用意する、彼ら分の資材を用意する・・・
そういった活動を抜きにしてそれらは絶対に実現出来ないはずだ。


憲法9条を擁護する人が言う事も上記に似ている。
設計なしに理想を語っているという意味で。

破滅への道へとレールを敷く、考えなき善意の人々。

理想を語る姿は一見美しいが、しかし・・・
その論に何の裏打ちもないならば・・・
その論は世界の「破滅」を招き、万民を不幸にする事、明白だろう。

私は本気で怒っている。
考え直せ!9条論者よ!
そして私の論に確固とした反論があるならば、私に聞かせてほしいと思う。