一般的に完全なる放物線が美しいのは推力と引力が妥協なく力を重ね合わせた結果であり、またそこに余分な夾雑物を含まず妥協なき姿を現しているからではないだろうか。
打楽器の演奏においては、放物線を描きながら演奏するように心掛け、それを実現出来たならば簡単に魅力ある音色を得る事が出来る。
力強く、リッチな音。
芯のある、太い音。
ドラムの演奏などは特に、小さな音にも芯の強さが欲しいと思う。
いずれにしても、自分の腰に潜むぴーちゃんが自分の身体の中を巡って手先、足先、その先にあるツールへときれいな放物線を描きながらパワーを投げ出すイメージ。
「放物線」というよりも「波動」か。
いずれにしても自然に逆らわず、素直な力の伝達を心掛けよう。


ミクロな動きにも合理性が必要とされる。
それは分かり易い、大きい動作に現れた完全の、完璧なる縮小型でなければならない。


はっと、思い付いた。
放物線の美しさを最も長い人生のスパンに当てはめてみると、人生の初めに強く投げ出す事がその人の人生を素晴らしいものにするのではないだろうか。
そこには絶妙のバランスが。
ただ高いだけでは短い人生、遠くに投げるだけでは浮かばれない。
放物線の角度を決めるのが「教育」であり、その強さを決めるのが「周囲の愛」なのではないだろうか。
特に乳幼児期には母親を柱として与えられる限りの愛を与え、出来得る限りの躾をする。
どうですか?思い当たりませんか?


そういうわけで愛と教育は別の要素だ。
しかし教育に愛の要素が欠けてはならない。
分かり難かったらごめんなさい。


そして音にも、人生にも、それをさらに完璧なものとするためには一見不合理な「揺らぎ」が必要だ。
現代、解明されている物理においてもそんな感じらしいから、今の思い付きは真理かもしれない。
そこまで達すれば、立派なプロの領域ですね!
これも直観としてわかる事。



そんなわけで幼児期の教育を手掛けてみたいと思う、今日この頃です。

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