先週半ばから一週間ほどバンコクへ行ってました。

しかししかしだ・・・高級ホテルのくせにインターネット接続が1日1800円???
それとも高級であるが故???
バカバカしくて接続はあきらめたっ!
これからは安宿で接続無料のところにする。


主に各地で民族音楽の鑑賞をしてきましたが、例の暴動、焼き討ちの跡が酷かったな。
戦勝記念塔周辺のビルやサイアムスクエア、サイアムの百貨店・・・酷かった。
有名店が廃墟になったビルの前、屋台で営業していたり・・・
政治活動も悪くはないけれど、焼いちゃいかんだろ。
あそこまでやってしまったら政府側が武力で鎮圧するのも治安維持のために仕方ない。

しかし滞在中にも赤服の集会を見かけたけれど、穏やかなものだったよ。

なぜあんな暴動になってしまうのか、そこいらへんの心理にはとても興味がある。

Akafuku.jpg
赤服の集会

Police.jpg
それを見守るポリス

WatArum.jpg
暁の寺−夜


今は、「個人」という価値観にばかり重きを置き過ぎなのではないだろうか。
自分さえ良ければ、あるいは自分の家族さえ良ければ、自分の周りさえ良ければ、という考えで皆が動く世の中は暗いものになるだろう。
私がそのような事を言うのも何だか笑えるが、笑っていられないほど、そういう行動様式の持ち主と出会う今日この頃。

私の関係する分野「音楽」、特にアンサンブルは個人が尖っているだけではダメなのだという事を教えてくれるよな。
アンサンブルは社会の縮図であり、色々な事に気付かせてくれるよ。

極上のアンサンブルを作り上げてみたいものだ。


全ての事象は絶妙のバランスを保ちながら成り立っている事、そのバランスとは、例えば一枚の絵のように見える滝が実は瞬間も留まる事のない水の流れである、というような不安定なものであるという事、そんな事に興味の向く人が増えたらいいな。
さじ加減一つで、同じものが毒にも薬にもなる。




煩悩を消し去ろうとするのがそもそも間違いであって、煩悩がある状態も、ない状態も、そういった確定的な状態は生きている限り有り得ない。
二律背反のキリストやイスラムでは到達し得ない素晴らしい教えが仏教にはある。
そもそも悟りを求めようとする姿勢が悟りにはつながらず、かえってそれを遠ざけてしまう。
そんな事を考えていると、一人の人間や物事が見せる多様な相を重ねてそのまま見る事が普通になって来る。

真実とは常に揺れ動くものであり、一所懸命、固定したように見せかけても空しいだけだ。
万物にとどまるものはない。
しかし感覚を研ぎ澄ませれば、真実はあるがままそのままに自ずと感じられるものだろう???
違いますか???