音楽は音楽そのもので良いのではないだろうか。
歌い手の音楽には言葉があるから、それが煩わしい場合がある。

ミュージシャンや芸術家には、とかく武器を持つ事を否定する向きが多い。
平和な世の中が続くにはどうしたら良いものやら、私は日夜考える。
私は自分こそ世界最高の平和論者であると考える。

武器を手放せば平和が訪れる?
世界は一つ?

そんなに単純なものではないだろう。
武器を手放して攻め込まれた時、あるいは圧力をかけられた時私たちの命運はどんなものになるのかを想像する。
また、世界が一つだった場合の息苦しさに思いを馳せる。

ものごととは、そんなに単純な図式をとる事はない。

仮に平和が続いたとして、大した災害にも数百年遭わなかったとして、安全・安心の中、地球上に人が蔓延(はびこ)れば結局は自浄するしかない。
逃れる術は宇宙に求めるしかないだろう。


世界は二つの家系に牛耳られている?
野望を持ち、あるいは志をもって世の中に挑む人は案外多く、現代はそんな簡単に特定の人の言う事が全て通る図式を持ち得ない。
それぞれ力を持つものにそれぞれの志がある。

個人、個性というものがある限り、世の中は自立と共生の絶妙なバランスの中でやっていくしかないだろう。

世の中は単純ではない。
わかりやすい思想や言葉を求め過ぎると、世界は悪い方向に向かうだろう。
むしろわからないものには口出ししない方が世の中はうまく行くのではないだろうか。
能力を超えた回答を望めば世の中は歪むしかない。
誰にでも理解する事の出来るキャッチーなフレーズには危険が一杯だ。


生きる事がすべてか?
全ての人間はまぎれもなく死に向かって行進している。
その事実を冷静に見つめた時、生き長らえる事が絶対善ではない事など自ずからわかるはずだ。

出来得る限り生命を溌剌とさせる、それと、誇りなくして生き長らえる事は似ている様で、しかしその違いに気付かなければその人は限りなく無意味な人生を閉じる事になるだろう。

戦に備える事は悪いばかりではない。
それによって私たちの生命や財産が第三者の侵略から、より確実に守られるばかりではなく、そういった緊張感を持ち続ける事が私たちの科学技術の発展と密接に結び付いている事は明白だ。
科学の発展が良いか悪いかは別として。


過去に生きた人たちよりも私たちは進歩している???
それは非見識且つ傲慢な発言だ。
謙虚に考えれば、私たちはむしろ退化さえしているのではないだろうか。

今こそ、世界が平和であるためにはどうするべきなのか、そして人類が努力すべきはどういった分野であるのか、真剣に考える事が必要だろう。
浅い考えで口当たりの良い言葉を連発する輩は、はっきり言って社会の迷惑であるとさえ思う。

「民の政治」これも口当たりの良い言葉であるが「民」とは理念上の存在に過ぎず、その実体は多くの個性・思惑の集合体だ。
民を語る一個人の支配にならん事を願うばかりだ。
あなたと私と彼、彼女の希望には同じところもあれば、また相容れないところもあるはずだ。
世の中の様相を見るに、近未来的にはきめの細かい多様化と共生こそが今、最も必要とされているのではないだろうか。

あなたはあなた、私は私、お互いを尊重して認め合う事にこそ平和の実現があると考える。
平和の実現は単純なものではない。
互いの自立の上に、高度な制御が必要であると考える。

「必要な武器は持てども使わず」
この姿勢が現時点では最も世界平和を実現させ得るのではないだろうか。


沖縄は犠牲にされた?
沖縄が戦場になったのは、当時の各国軍の配置をみればそれが地理上の問題である事がわかるのではないだろうか。

平和を司る人たちには是非、多角的なものの味方、そらから最悪の事態についての備えをしっかりしてもらいたい。

「平和は望めば手に入る」といった安易な考えは即刻に捨てるべきだ。
平和は盤石な備えの上に成り立つものではないだろうか。


さらに言ってしまえば、平和な状態が未来永劫に渡って続く事が果たして人類のために、そして地球のために、あるいは何かのために本当に良いものであるのかどうか、そんな事にさえも思いを馳せて頂きたい。
すべてにおいて利害が一致する事はまれである。
地球にとっては私たちこそがガン細胞であり抹殺されるべき存在であるのかもしれないのだ。
もし、地球というものに意思があればの話ではあるけれど。
あるいは地球上の生きとし生けるもの、動物や植物に優しくしたいのならば私たちが進んで命を投げ出す事が最善である、という考えだってあるだろう。

私たちの平和や繁栄とは、そんなに簡単には絶対善とならない。
多角的に考え、そして謙虚に備えるべきだ。

食事する時に敬虔な気持ちになる。
生きるとは、そういう性質を持つものであると思う。


単純な言葉に彩られた政治活動には害が多いだろうと言っておこう。
結局は、政治に権限を持つ者が賢くならなければならないのだ。
そういうわけで人間が人間らしく生きるための柱は「教育」であると思う。


日本人ならば日本人として世の中を見つめる謙虚な姿勢、地域の者は地域の目線を忘れずに物事を考える謙虚な姿勢、自分の立ち位置にしっかりと根ざしながら合わせて他者の事も思いやる姿勢。
世の中の様相を見るに、近未来的にはきめの細かい多様化こそが今、最も必要とされているのではないだろうか。
「思い遣りと自立の両立」
このあたりを実現するのが最大多数の最大幸福を満たすとみる。



・・・以上、あえて強めに言ってみました。