はたと気が付いた。
博打はそんなに悪いものなのだろうか。

株を投機の対象として利益を得る事は博打と同じだからと、忌むべき対象としてきたけれど、よくよく考えてみれば前提となる博打が絶対な悪であるといつの間にか決めつけていた。

しかし、一定のルールを厳しく守る中での博打ならば、これは許されても良いのではないだろうか。

生産性を感じない行為から巨額の利益が出てくるのが賭博=株や為替、先物取引等への投機的投資だろうが、考えてみれば商いだって似たようなものか、という気もしてくる。
あまりに突き詰めると、サービス業はどれも成り立たなくなる気もする。

実際、株で大きな収入を得る人が多くいるならば、それが社会の常識=スタンダードであるならば、これには乗るしかないか。
例えば海外へと出掛ける時、為替に一喜一憂するが、それならばそれに対しての防衛策として安い時に外貨を買っておく事には理屈が通る気がする。
同様に貨幣をはじめ、不動産、その他、財産の価値は不安定だから、それらの価値を守るために資金運用する事は現代において正当であるのかもしれない。
生きていくためには色々な可能性を必死に探らなくてはならない。
が、逆に株取引という賭博に生活を賭けてしまう事は、遊びの範疇であるギャンブルよりも社会に負担を掛けてしまいかねないな、とも思う。

要は、度を超さなければ良いのだろうか。
理由はどうであれ、やはり博打は良くないのか。
投機的な株売買等を、皆さんはどう思いますか。


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